2021.11.23
お米屋さんは絶滅危惧種?!「梶谷米穀店」が伝えたい想いとは
町中でお米屋さんを見かけなくなったのはいつからだろう?いまやスーパーマーケットやインターネットが主力となり、北九州市でも米屋は姿を消しつつある。
「私が代替わりしたころと比べると、残っているのは3分の1くらいですね。米屋を見たことがないという人さえいる。絶滅危惧種ですよ」
そう話すのは、梶谷米穀店・三代目の梶谷登さん。
しかし、その明るい語り口から伝わってくるのは、お米を扱う楽しさやワクワク感。
米の消費量の減少やコロナ禍など、逆風の中でもお客様を惹きつけ続けるのはなぜなのか。その秘訣を探ると、梶谷さんのお米にかける情熱が見えてきた。
お客様ひとりひとりに合うお米を
昭和4年に小倉の下町で創業した梶谷米穀店。
「かじやのお米」と書かれた入口をくぐると、所狭しと米びつが並んでいる。どれもお米マイスターである梶谷さんが選び抜いたお米だ。
「美味しさは人によって違うから、お客様に合ったお米探しをしています。柔らかめとか固めとか、好みを聞いた上で2~3キロ試し買いをしてもらうことが多いですね。”魚沼産コシヒカリが日本一”と言われているけれど、全員にとってそうとは限らないんです」
まるでワインのソムリエのようだ。こだわりは、それだけではない。
「販売しているのは、顔を合わせて、関係を築いた生産者の方のものだけです」
梶谷米穀店が扱うのは、無農薬米、*特別栽培米、契約栽培の3種類。農薬や化学肥料に頼らない米作りには、相当な手間とコストがかかる。それでも、安全で美味しいお米を届けたい、という農家の熱い想いを伝えていきたいと言う。
※特別栽培米:節減対象農薬や化学肥料の窒素成分を地域慣行レベルの5割以下で栽培したお米
さらに、精米はお客様から注文を受けた後に行う。精米したての新鮮なお米は香りもツヤも良く、モチモチと美味しい。
こうしてスーパーでは味わえないお米の味を知ったお客様がリピーターとなり、梶谷米穀店には活気が溢れている。
お米は日本人のアイデンティティ
梶谷さんがお店を継いだのは25歳の時。幼い頃から米屋になるのだと言い聞かせられてきたので、当然のことだと思っていた。当時の自分を「お坊ちゃんだった」と笑う梶谷さん。
「最初の頃はお客様に怒られながら、教えてもらった感じでしたね。商売を続けていく厳しさを知りました。常にお客様の声に向き合わないと、明日には店が消えているかもしれない」
店に立つうちに、お米のルーツにも興味をもつようになる。
日本人がお米を食べ始めたのは縄文晩期。古事記には日本国をつくる際、天照大神から稲穂を授けられたと書かれているほど、お米とは切っても切れぬ縁で結ばれている。
奇しくも、取材に伺ったのは11月23日の新嘗祭(にいなめさい)。秋の収穫を祝い、天皇が神前で新米を食す祭祀の日だった。
「お米は日本人のアイデンティティです。それが失われていくのは悲しい」
梶谷さんは、学校やイベントで美味しい炊飯術やおむすびの結び方など、お米の魅力を伝える活動をしている。
また、自作のHPにもお米のマメ知識や食のアドバイス等がぎっしりと綴られていて、日本人の命の源を次世代に繋ごうとする想いが、ひしひしと伝わってくる。
「少なくとも、想いだけは伝えておかなくちゃと思ってやっています」
楽しみながら喜ばれるものを生み出す
そんな中、新型コロナウイルスの影響で、梶谷米穀店も飲食店向けの販売が減少した。そこで考案したのが、農薬不使用米を焙煎した「米屋珈琲」だ。
実際には、玄米100%の珈琲のようにコクがある玄米茶。香ばしい美味しさはもちろん、ノンカフェインで栄養補給もできると好評だ。
他にも、米袋を再利用した「米(マイ)バック」や「真空パックのお米ギフト」、オリジナルキャラクター・米粒君のTシャツなど、オリジナリティのある商品を生み出して注目を集めている。
アイディア発想の秘訣を聞いてみると、日頃から街やデパ地下を散策するのが好きだそう。
「お米を通じてお客様に喜んでもらいたいですね。そのためには、まず自分が楽しみながらやる。ワクワクすることを見つけて、お客様に微笑んでもらえたら嬉しい」
そう語る梶谷さんの元には、今日も人が集まり、あたたかい空気が流れている。
梶谷米穀店 梶谷登氏のOneAnswer
「自分が楽しみながら相手を喜ばせる。微笑みがこぼれる仕事を」
取材日:2021年11月23日
海野さやか(ライター)
大手IT企業のトラベル部門に10年勤務後、
シナリオライターとしてフリーランスに転身。
現在、東京青山のシナリオセンター・作家集団に所属。
小学生男の子2人のママでもある。東京都在住。